「大槌で生まれ、大槌人として、大槌町の人口として育ったから。」
岩手県 上閉伊郡 大槌町で聞けたことば
「大槌で生まれ、大槌人として、大槌町の人口として育ったから。」
東京で就職したが、震災をきっかけに地元にUターンした大羽美年さんのことば(28)2016年
これは大槌町だけに向けられた、閉鎖的なことばではない。
美年さんと話せば話すほど、そう感じられた。
美年さんと話せば話すほど、そう感じられた。
ずっと憧れていた東京での日々は忙しかった一方で、楽しくて充実していた。
上京する時には、長男だからいつかは大槌に戻って来るとは思っていたものの、実家の釣具屋を継ぐ気は全くなかった。
むしろ実家が釣具屋なのに、小さい頃から野球一筋だったため、釣りに関しての知識はゼロだった。
しかし、東日本大震災が起きて地元の状況は一変した。
家族は無事だったが、釣具屋は津波で流されてしまった。
家族は無事だったが、釣具屋は津波で流されてしまった。
「流されたけど、それでも店を再建したい」と父から話を聞いた時、美年さんは腹をくくったという。
自分も釣具屋を手伝う、そう決めてからはあっという間だった。
大槌に帰ってきて3日後には船の免許を取得するため仙台へ。必死に勉強し、試験は見事一発合格。
現在の釣具屋は主にお父さんが釣り船の斡旋などで海に出て、美年さんが釣具屋の店頭にたっている。
お客さんとの会話も、釣りの知識を吸収できる絶好の場だという。
「大槌」への想いは、震災をきっかけに濃度を増していると感じられる。
Uターンを決めた2011年から5年後の2016年に美年さんは結婚した。
大槌町という土地で新たなステージに足を運び、
先祖代々受け継がれてきたものを子供の世代まで残したいと思うようになった。
大羽家の長男として、釣具屋として、大槌町民として、若者が住みやすい町、来たいと思う町はどうすれば作れるのか。
東京での経験を踏まえて考えているという。
「大槌町で生まれ、大槌人として、大槌町の人口として育ったから。」
うちに向けられた、閉鎖的、排他的なことばではない。
外から来た者は大歓迎してくれるし、都会の良いところも認めた上で、こう語る。
大槌のパワーをどんどん大きくする暖かいことばだと思う。
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